一志温泉とこのめの里近くで聖書の福音を伝えるキリスト集会(教会=津市)
第11回 月と兎
ようやく芒が、と秋の足音が聴こえた時、中秋の名月はとっくに背後に遠ざかっていた。月を愛でるのも「今は昔」となった感がありますね。……
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●中秋の名月
ようやく芒が、と秋の足音が聴こえた時、中秋の名月はとっくに背後に遠ざかっていた。月を愛でるのも「今は昔」となった感がありますね。今回は「源氏物語」ではなく「今昔物語」から月と兎の話を紹介しましょう。
今昔物語集 巻5第13話 三獣行菩薩道兎焼身語 第十三(現代語抄訳)
今は昔、天竺(インド)に兎・狐・猿、三匹の動物がいました。三匹は老人を親のように敬慕、年長を兄、若者を弟のように接し、他者を自分より優先させました。これを知った帝釈天は甚く感心しました。「彼らは動物だが、大変稀有な心根を持っている。果たして動物が誠の心を抱くものだろうか。試すこととしよう」。
帝釈天は忽ち衰弱しきった貧相な老人に姿を変え、三匹の動物の前に現れました。「私は老衰し、為す術も有りません。どうそ私を養って下さい。子も家も食物も無いのです。貴方達は慈悲深い方と聞きました」。そこで猿は木に登り、クリ・カキ等々を採って来て、好きな物を食べさせました。狐は餅やご飯、アワビやカツオ、種々の魚介を採って来て差し出しました。老人はすっかり満腹しました。
老人は言いました。「猿と狐は霖雨蒼生、すでに菩薩と言ってもよかろう」。兎は発奮し、サーチライトを照らし、耳を澄まし、身構え、目を大きく見開いて、四方八方駈けずり回りましたが何も獲れません。猿、狐、そして老人は破顔一笑、激励しますが矢張り成果は有りません。「老人を救おうと山中を駆け巡ったけれども山奥は怖い。人や野獣に狙われ、無駄に落命する危険が高い。ならば今この身を捨てて老人の食物となろう」。兎は老人に言いました。
「今、美味しいものを用意します。柴を集め火を熾して待っていて下さい」。猿は柴を拾って来ました。狐はこれに火を付けて、兎が何を持参するのかと待ちましたが、兎は空手で戻って来ました。猿と狐は不平を言います。「俺達はおまえが何か持って来ると言うので、準備して待っていたのに、何も無いじゃないか。自分が暖まろうと嘘を言って火を焚かせたんじゃないのか」。
兎は言いました。「私は力が及ばず、食物を持って来ることが出来ません。我が身を焼いて食べていただきます」。そう言って、焚火に飛び込み焼け死にました。刹那、老人は帝釈天の姿に戻りました。凡ての人が見えるように、投身した兎の形を月の中に移しました。月の中に雲のように見えるものはこの兎が火に焼けた煙であり、「月の中に兎がいる」と言われるのはこの兎の形です。月を見上げる毎に皆はこの兎の佳話を思い出すのです。
こんな話を聞かされると「今度町で兎に会ったら『よくやった』と頭を撫でてやりたくなりますね。けれどもこの兎の話に描かれた利他の愛、犠牲の死、そして闇夜を照らす月の話は聖書の示す福音を彷彿させるものが有るのです。
●利他の愛
兎は老人の為に時間と労力を割きました。幾日も野原を駆け巡って食料を探し求めたのです。さて私達、たとい家族の為であっても限度を超えれば本人が壊れてしまいます。結果、悲しい事件に繋がることも有るようです。私達の救い主となって下さった方、イエス・キリストは神でありながら人としてこの世に来て下さいました。その生涯の殆どを私達の為に費消し尽くして下さったのです。キリスト者の間で親しまれている讃美歌(「馬槽の中に」(讃美歌121番)を紹介したいと思います。
馬槽の中に 産声上げ
大工の家に 人となりて
貧しき憂い 生くる悩み
つぶさになめし この人を見よ
食する暇も うち忘れて
虐げられし 人を訪ね
友なき者の 友となりて
心砕きし この人を見よ
すべてのものを 与えしすえ
死のほか何も 報いられで
十字架の上に 上げられつつ
敵を赦しし この人を見よ
この人を見よ この人にぞ
こよなき愛は 現われたる
この人を見よ この人こそ
人となりたる 活ける神なれ
●犠牲の死
兎は老人の為に命を棄てました。同様、キリストが採択した道は十字架の死でした。形式的には当時のユダヤ指導層に忌避され十字架刑に処せられた、と済まされていますが、その濁流に身を委ねられたのはキリストです。逃避も可能でしたし、神の力によって敵を圧倒することも可能でした。そうしなかったのは、十字架の死が神の意志だったからなのです。
「わたしが自分のいのちを再び得るために自分のいのちを捨てるからこそ、父はわたしを愛してくださいます。だれも、わたしからいのちを取った者はいません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。わたしは、それを捨てる権威があり、それをもう一度得る権威があります。わたしはこの命令をわたしの父から受けたのです」(ヨハネ10章17、18節)。
●闇夜を照らす月
「三獣行菩薩道兎焼身語」は「月を見上げる毎に皆はこの兎の佳話を思い出すのです」と結びました。現在、この“皆”にどれ程の方が含まれるのかは分かりませんが。
ところで、多くの国の国旗に“十字”が描出されています。スイスの国旗、その配色を逆にしたものが赤十字のマークですね。また地図でもホームベース形の外枠に十字を描いたものが病院のマークです。被傷者、病人が自らの療養先を求めて来る場所、その記号が何故、“十字”なのでしょうか。非公言ですがキリストの十字架がその源であることは容易に推察出来ます。その証拠にイスラム圏では十字の代わりに新月(三日月)マークが使用されています。さて、十字架とは死刑の道具、病院の養生という主旨からすれば真逆のシンボルのように見えます。
今から約二千年前、イエス・キリストはエルサレムの十字架上で死なれましたが、その死を連想させる十字架が今、安心をイメージさせるシンボルとなったのです。
皆さんは“請求書兼領収書”を貰ったことが有りますか? 債務って嫌ですね。けれども支払って“受取済”となればかつては私を苦しめた“請求書”が“領収書”と変わりホッとします。元債権者が何か言っても、「ここに領収書が有る」と胸を張れます。同様、かつて私達に“死”を要求した請求書は今やキリストの十字架によって支払済となり“領収書”へと変わったのです。
「しかし、彼(イエス・キリスト)は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼(イエス・キリスト)への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼(イエス・キリスト)の打ち傷によって、私たちはいやされた。私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼(イエス・キリスト)に負わせた」(イザヤ53章5節、6節)。
満月の夜、私達はそこに描かれた兎を見上げることが出来ます。老人を救う為に自らが焚火に身を投じた兎の姿です。そして“十字”、は病院のマークに留まらず教会堂のシンボルとしても使われています。「ここに愛があるのです」(Ⅰヨハネ4章10節)という神の招きを高らかに喧伝する象徴となりました。
●震災に輝く十字架
9月1日は防災の日、1923年同日の関東大震災、その惨事の教訓と備えの為に設けられた日でした。震災当日の夜、東京を訪れた米国人宣教師J.V.マーティンは余震、延焼の恐怖に包まれる街中に揺らめく十字架を見ました。「破壊と絶望が押し寄せるこの街、なお希望の光を見た」と讃美歌に認めました。「遠き国や」(聖歌397番)です。その詩を下記にご紹介します。
1.遠き国や海の果て
いずこにすむ民も見よ
なぐさめもてかわらざる
主の十字架は輝けり
(折り返し)
なぐさめもてながために
なぐさめもてわがために
揺れ動く地に立ちて
なお十字架は輝けリ
2.水はあふれ火は燃えて
死は手ひろげ待つ間にも
なぐさめもて変わらざる
主の十字架は輝けリ
※折り返し
3.仰ぎ見ればなど恐れん
憂いあらず罪も消ゆ
なぐさめもてかわらざる
主の十字架は輝けリ
※折り返し
戦後79年、水温変化に気付かずに死に至る「ゆでガエル」の如く危機感を棚上げにしてしまった私達。それでも徐々に“温度”は上昇を続けております。“地球温暖化”も勿論そうですが、世界の二極化、三極化、台湾有事等々、“闇夜”が覆っています。しかし変わることなく輝き続ける十字架、是非この“避難所”に身を寄せられては如何でしょうか。
「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます」(ヨハネ8章12節)。